自分を見下した人を、もし大統領になったらどう処するか?
あまり有名ではないけど、大好きなあるアメリカ大統領のanecdote(逸話)。リンカーンが当時しがない田舎町だったシカゴの、名もない弁護士だったとき、全米で話題の特許裁判の共同弁護人を、当時のスター弁護士だったハーディング弁護士とワトソン弁護士に依頼されます。
裁判が僻地であったイリノイ州シカゴで行われるため、地元の裁判所に詳しいであろう無名のリンカーンに白羽の矢がたったのですが、その後裁判の地はオハイオ州シンシナティに移り、それならリンカーンにこだわる必要はなく、もっと名のある弁護士が良いだろうということで、ハーディングとワトソンは著名なエドウィン・スタントンに共同弁護士を依頼し直します。
しかし、手違いがあってリンカーンにはそれが知らされませんでした。リンカーンは乾坤一擲の裁判に血眼になって資料を集め弁論を用意して、万全の準備でシンシナティに乗り込みます。裁判の日時や場所は新聞で知りました。何の連絡もないのはおかしいなとも思いますが、スター弁護士というのはそういうものだろう、と自分に言い聞かせます。当日両弁護士を訪ねたリンカーンはそこで初めて解任を知らされますが、気を取り直して無報酬での裁判参加を打診します。
難色を示したのはスタントンでした。スタントンは無名の田舎弁護士を相手にせず、結局裁判にはワトソン、ハーディング、スタントンの3人で臨むことになりました。このときのリンカーンの悔しさを思うと胸が痛みます。普通の人なら、自分の不甲斐なさに押しつぶされるか、復讐心に胸を焦がすでしょう。
しかしリンカーンは、虚心坦懐に裁判を傍聴し、塩対応されたスタントンの弁護術に素直に感嘆します。そして、後に彼が大統領になったとき、なんとこのスタントンを司法長官に任命するのです。スタントンは司法長官として、後にsecretary of war(当時の国防長官)としてリンカーン政権の文字通り要となります。