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piano-treeの日記

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「イマジン」の7年前、アメリカにはまだ白人専用バスがあった

話題になっている丸山議員の「奴隷」発言ですが、マスコミによる恣意的な前後の切り取りがあるにせよないにせよ、「ハッキリ言って奴隷ですからね」は他国元首に対する尊敬と、もっと根本的に他人に対する配慮を欠く発言で不適切だと思いますし、まったく擁護できるものではありません。しかし、「51番目の州」という荒唐無稽な考え方とあわせて議員がアジェンダ提起したいことはなんとなく理解でき、それがなぜかを説明するためにはアメリカの歴史のあまり知られていない(あるいは誤解されている)部分について若干解説が必要と考えます。

リンカーンの奴隷解放宣言(The Emancipation Proclamation : EPとします)は1868年ですが、アフリカ系アメリカ人に選挙権が認められたのは1964年でそのちょうど100年後、ケネディ大統領を継いだジョンソン大統領の時代です。そればかりか、その1年前まではまだ南部ではジム・クロウ法が残っており、アフリカ系アメリカ人および有色人種とその混血は、白人専用のホテルや病院、公共交通機関を使うことはゆるされず社会的に隔離されていたのです。ジョン・レノンがイマジンを歌うたった7年前のことです。

カナダ人のニール・ヤングはSouthern ManやAlabama という曲で、アメリカ人南部人を痛烈に批判しており、Now your crosses are burning fast(crosses : 南北戦争時の南軍を象徴する十字を斜めに模った旗)とまで言っているのですが、これは1970年のことで、公民権運動以降数年たっても上記のような有色人種への差別は色濃く残っていたことを示唆します。余談ながら、レイナード・スキナードというアメリカ南部出身のバンドは、Sweet Home Alabamaという曲で歌詞の中にニール・ヤングの名前を出して批判し返しています : I hope Mr. Young to remember, southern men don't need him around any how. 

なぜEPから100年以上たった後も、このような状態が100年以上続いたか。そもそもリンカーン自体、有色人種が公民権を手にする日が将来来ようなどとは、夢にも思っていなかったはずです。彼は政権の閣僚のなかでも有色人種政策に関して革新的で、シワード国務長官などはライバルとして選挙戦を戦っていた時分リンカーンの有色人種政策を過激すぎると批判していたくらいですが、それでも解放した奴隷が白人社会に同化できるとは考えておらず、初期には解放した奴隷をアフリカに送還する計画を立てていました。

南北戦争におけるリンカーンのもっとの重要なアジェンダはユニオン(アメリカ合衆国)を守ること、南北の分裂を防ぐことでした。それには連邦脱退を目論みる南軍を軍事的に打ち負かし、しかるのちに寛大な政策をとって彼らを引き戻すというのがリンカーンの戦略でした。EPはそれを実現するための半ば「軍事的な」戦略で、奴隷を主要な兵力とする南軍を、奴隷逃亡を合法化することで弱体化させることが主な目的でした。リンカーンの心中はどうあれ、少なくともそういう前提でないと、急進的な奴隷の社会同化を恐れる北側の保守層をも納得させられなかったくらい、当時有色人種の白人社会同化というのは非常識な考え方でした。そいう意味で、それは当時仲間をも驚かす奇策だったわけで、戦後の南部融和も同じく周りからは猛反対を受けた奇策であり、この2つの奇策を信念をもって成功させ、ユニオンを守ったところに、リンカーンの政治的天才と英雄たる所以があります。オバマ大統領も選挙戦ではユニオンという言葉を多用しましたが、それは解放者としてのリンカーンよりもアメリカ(の統一)を守った英雄としてのリンカーンに自分をなぞらえたものでしょう。

それを考えると、オバマ大統領の誕生に象徴される、アメリカが1970年以降の40年間で経験した社会変動がいかに大きなものだったかが想像できます。日本でいうなら、70年代以降にもう一度幕末の社会変動(政治変動は抜きにして)を経験しているようなものです。日本でも同じ時代に大きな社会変革がありましたが、アメリカでのそれとは比べられません。アメリカの51番目の州を目指すという考え方もある、という丸山議員の発言は、まじめに言っているとは到底思われませんが、奴隷発言とあわせ上記のようなアメリカのダイナミズムと、それゆえの激変の時代における強さを強調するためのアジェンダ提起と理解すれば、その意味においてのみ一定の評価はできるのではないでしょうか。