piano-treeの日記

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ソーシャルメディアはshallow(薄っぺらい)か?

3〜4年前になると思いますが、Nicholas Carrという人が書いたThe Shallowsという本を、出張時に外国の本屋でよく見かけ、確かサンフランシスコで購入しました。一言でいうなら、インターネットは人間の思考を薄っぺらくしていく、ということを入念なリサーチで科学的に実証した本です。素晴らしい洞察に基づいたいい仕事で、海外では話題になっていましたが、未だに日本語訳はないようです。

 

"We want to be interrupted, because each interruption brings us a valuable piece of information"

「我々はむしろ邪魔(interrupt)されたがっている。なぜならばインターネットにおける『邪魔』は、同時に有益な情報の欠片でもあるからだ。」

 

その結果として、人間(の脳)はinterruptionがない状態、つまり集中状態を、ある意味で良くないものと認識するようになります。interruptionを歓迎するようになるのです。このことが人間の思考を浅くします。悪意のある言い方をすれば薄っぺらく。

 

ソーシャルメディアはまさにそれを象徴する存在です。タイムラインに次々と流れる情報、誰かが自分のポストをlikeしたよ、という通知、表示しただけで自動的に再生される動画、これらはすべて本来interruptionなはずですが、我々はむしろそれを歓迎しませんか?

 

アラブの春」はソーシャルメディアによってもたらされたといっても過言ではありませんが、同時にソーシャルメディアによって破壊され、現在「春」を経験した多くの国では革命以前より深い混沌が社会を支配しています。エジプトにおける主導者の一人、Wael Ghonimさんは、その状況に絶望しその後2年半の間沈黙を守り続けてきました。

 

www.ted.com

 

ここからは私の考えですが、ソーシャルメディアは、特定のメッセージを拡散すると同時に、人々の声を集約し遠心分離機のように一つにまとめあげてしまいます。1.受け手の思考の浅さと、2.ソーシャルメディアの情報拡散システム、3.発信者・媒介者の承認欲求がそれを助長します。

 

1.は上でお話したとおり。2.はlikeやshareに代表されるように、本来であれば共感度や共感するポイントに差があるべきいくつもの共感を、一つにまとめて「1M likes」などと定量化してしまうシステムを指摘しています。これはlikeに色をつけられる新しい機能でいくらか緩和するでしょうが、本質的には変わらないでしょう。そもそもが上記のような問題意識から生まれた機能と想像します。

 

3.ですが、ソーシャルメディアにおいては時にlikeされることが目的化し、解りやすく共感を集めやすい記事をshareしたりコメントをつけてポストする傾向があるように思われます。右翼・左翼という言葉を最近またよく聞くようになりましたが、中核派革マル派などの「派」の時代から、暴走族・たけのこ族など「族」の時代を経て、さらに渋谷「系」、〇〇「推し」と、グループが多様化し構成員の絆がゆるくなり相互の対立も緩和する一方だった時代の流れに大きく逆行する現象です。ここには3.のポイントが大きく関係していて、極端な思想に立脚したほうが共感を得られる投稿の予測がつきやすくなる、という真理が働きます。

 

これらのことが社会にもたらす帰結は、アラブの春で証明された通りです。深い思考と哲学に基づく個人のリーダーシップの欠如と、上下左右への大きく乱暴な振れです。ソーシャルメディアがもたらす利便性を享受しながら同時に、我々は深い思考を取り戻す必要がある、ということで、新年にあたり昔と同じくらい本を読む事と、クソ長い文章を書くべく今あえてブログを初めてみました。