piano-treeの日記

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国家プロジェクトをもかき回す「ロゴ」という偶像、「ブランド」という念仏

ブランドガイドラインをめぐり、「神学論争」をしたことはありませんか?いわく、このロゴのまわりの余白は「先進的」ではない。いわく、このモデルの前髪は「挑戦」というブランド価値に反する。そうした議論は感情的にヒートアップすることも少なくなく、ガイドラインの番人はほんの些細なチャレンジに対して、まるで全人格を否定されたかのように過剰反応します。

ブランドは企業の一資産であるはずですが、不動産や知的財産などのように事務的に管理されることはなく、本邦では時にまるで宗教的な偶像のように扱われます。その結果、ブランドをポートフォリオで管理したり売買したり、という発想から経営者やブランドマーケターが遠ざかることになり、逆にブランドマーケティングの発展が阻害されていると考えます。少なくとも、グローバルスタンダードからは外れていきます。このことを理解するためには、文化的な背景を深堀する必要があります。
 
20世紀最大の知の巨人、といっても過言ではない文化人類学者のクロード・レヴィ=ストロースは、親日家という言葉では言い尽くせないほど深く日本文化を愛していました。ブリュッセルで生まれパリで育ったフランス人の彼は、少年時代、画家であった父からプレゼントされた広重の浮世絵版画と恋に落ち、爾来学校で良い成績を取った際は、ご褒美に国芳北斎をおねだりするようになりました。それだけでは飽き足らず、小遣いを貯めては東洋美術を商う雑貨屋に日本の骨董品を買い求め、部屋を小さな日本に飾り立てては悦に入っていたといいます。

そんなレヴィ=ストロースでさえ、初めて東京の街を訪れた際、無造作に入り組む首都高の高架と無秩序なビル群が、のどかな名の付く川に暗澹をつくる東京の街並を嫌悪しました。外国人でなくても、荘厳なお寺の山門から目と鼻の先に雑居ビルと高速の高架が聳える街並に、時々居心地の悪さを覚えることがあるのではないでしょうか。混沌が産み出すエネルギーのようなものを感じますが、映画のような統一された世界観に耽溺する恍惚はありません。

ニュージーランドの航空会社に努めていた時、よく訪れたニュージーランド南島の街・クイーンズタウンでは、市役所が街の景観をとても厳しく管理しており、知人が目抜き通りに会社の事務所を構えた際、看板の企業ロゴの色を緑色からアースカラーに変えるよう指示されたそうです。美しくユニークな街の景観を「アセット(資産)」とらえているためです。


日本でも京都や鎌倉など一部の観光地では、コンビニの看板が通常のブランドカラーとは違う色だったりしますが、これらは歴史的な街並を「保存する」という意味合いが強く、クイーンズタウンのような新しい街でも、自然の風景と馴染んだ景観を戦略的に創っていく、観光客や移住者、企業を誘致するための「資産を形成していく」という視点は希薄です。

同じことが、企業のブランド形成でも言えないでしょうか。ブランドは事業買収などの際は間接的にではありますが値段が付き、売買の対象となる企業の資産です。日本マーケティング学会初代会長の石井淳蔵先生は、将来ブランドを土地や建物のように時価評価し、バランスシートに組み込むようになる時代が来ると予見されています。しかし、ブランドを資産と捉え売買の対象としたり、投資をしてその価値形成をしていくという姿勢は、日本企業においては未だに希薄です。

続きはアドタイ(Advertimes)で

コンサル会社の広告界への参入」が日本で意味すること

アドバタイムスのコラムを更新しました。以下、引用です。

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コンサルティング会社の広告界参入が大きな話題です。米国に端を発した世界規模の合従連衡がダイナミックに進行中ですが、これは日本においては、米国にはない特別な意味を持つ出来事です。そして事態の趨勢を左右するのは、コンサル会社でも広告会社でもなく、ほかならぬ広告主のマインドセットです。本稿では、コンサル会社の広告界への参入が「日本で」意味すること。そして広告主に必要なマインドセット。この2つのポイントを掘り下げます。

コンサルティングという業態は、19世紀後半のアメリカで産声を上げました。世界最古のコンサルティング会社は、マサチューセッツ工科大学の科学者によって設立されたそうですが、有名なマッキンゼーも創設者はシカゴ大学経営学部の教授だそうです。アメリカの同僚と仕事をしたり、話しをしていると、アメリカは日本に比べて、随分と学歴社会だな、と感じます。

例えば米アマゾンのofficers and directors(取締役・執行役員)のページでexecutive(重役)のプロフィールを見てみると、ハーバード、カーネギーメロン、スタンフォードなど名だたる名門大学のMBAホルダーが顔を揃えています。日本でライバルにあたるインターネット企業の役員プロフィールを見ると、やはり錚々たる顔ぶれではありますが、国際的なレベルでの高学歴が共通項というわけではありません。

広く読まれているビジネス書を見ても、アメリカでは『ビジョナリー・カンパニー(原題:Build To Last)』のジム・コリンズや、『イノベーションのジレンマ(原題:The Innovators Dilemma)』のクレイトン・クリステンセンをはじめとした学者・研究者による良書が多いですが、日本では実績のある経営者の手記や、第三者による分析のようなものが人気です。

内容的にも、例えば『ビジョナリー・カンパニー』は膨大な数の企業を定量的に比較・検討し、何が「永続する企業の条件」なのかを統計的かつ客観的に分析しているのに対して、経営者の手記・分析のような日本のビジネス書では通常1社(多くて2〜3社)の成功事例・失敗事例を深堀りしています。

どちらが良い・悪い、ということではないですが、日本では実際の成功体験が、科学的・学術的・体系的な知識より重んじられる、ということがこの2つの例に表れているように思われます。学者や研究者の言説は、時に「机上の空論」と揶揄すらされます。本稿の結論を一部先取りすると、日本で独自の進化を遂げた広告会社はここでいう「実際の成功体験」重視型、アメリカで生まれ育ったコンサルという業態は「科学的・学術的・体系的な知識」重視型で、それゆえ本邦においては、学者や研究者に対するのと同様、まだまだコンサル会社をイメージ的に敬遠する人も多いのではないでしょうか。

続きはこちら

「憲法」という言葉の誤訳から、意識高い系の横文字多様を擁護する

テレビで「憲法はなぜ必要か?」という特集をしていて非常に驚きました。憲法の重要性を解りやすく伝える、という制作者の趣旨は解るものの、ぱっと聞いた感じ非常に突飛な印象を受けます。憲法は国の設計図なので、憲法がなぜ必要か?というのは、国はなぜ必要か?という問いと同じです。護憲改憲か、というレイアーの話ではなく、言葉の定義の問題です。例えば極端な話、たとえ無政府主義者であっても、国家を樹立した際にはそもそもその「政府は不要」という国のあり方が憲法に規定されるが故、憲法は尊重することになります。専制君主に絶対的な統治権があり、その統治権は全ての法律に優先する、というのも、近代的な立憲主義の精神には悖りますが、一つの国の設計図といえます。憲法は明文化されている場合とそうでない場合がありますが、憲法の数だけ国家がある、と考えることもできます。アメリカ合衆国連邦国家(邦=国)なので、それぞれの州(stateというのは文脈によっては国とも訳します)が独自の憲法を持つ国家です。それゆえ、州によって同性婚が可能だったり不可能だったり、マリファナが合法だったり非合法だったりするのです。国の設計図である憲法が違うためです。

 

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英語のConstitution(憲法)には、civil law(民法)とかcommercial law(商法)とかcriminal law(刑法)のようにlaw(法律)という言葉はついていないのに、それを明治時代に憲「法」と訳したのがそもそもの間違いの始まりです。この憲法という言葉自体は、聖徳太子の「十七条の憲法」を例に出せば解りやすいですが、本邦では古来から使われてきたものです。ただ、例えば日本書紀に出てくる憲法(いつくしきののり)という言葉は、本来は官吏が従うべき論理的な規範を定めたもので、役所の省内の決まり事のようなものであり、constitutionの本来の意味である「国家の設計図」ではまったくありません。官吏(公務員や国会議員)を縛る、という表面的な類似性こそありますが、概念としてはまったく別々のものです。例えて言うなれば、constitutionは家を建てるときに建築家が書いた設計図です。十七条の憲法などにいう「憲法(いつくしきののり)」は、「現場では必ずヘルメットを着用する」「タバコは所定の喫煙スペースで」などというルールに近いものです。ともに現場で作業をする大工たちを縛る決まり事ですが、本質はまったく異なります。

 

つまり、憲法という日本語は、当時の時点では誤訳です。言葉の意味・定義というのは生き物で、時代とともに一般的な用法・用例が変化するに従い変遷していくので、今日の「憲法」という言葉の辞書的な定義には、近代的な意味での憲法、国の設計図という概念も含まれています。しかし、辞書というのは、公文書から学術文書、市井の会話の記録を含め様々な資料をあたって用法用例を分析して編纂するものです。一般人が公文書上、学術文書上の用例を把握していることは少ないですし、この正しい定義で憲法という言葉を理解できている人は少ないのではないでしょうか。だからこそ冒頭の「憲法はなぜ必要なのか?」などというテレビ番組が成立し得るのです。多くの人は古来使われている「憲法」という言葉の意味など知る由もありませんが、それでもこの翻訳はやはり不適切です。「法」という言葉が入っていることで、ある種の法律なのだろう、法律の親分みたいなものだろう、という誤解を生んでしまいますし、「十七条の憲法」などという用例と区別できないのでそこでも誤解が助長されます。これらの誤解は、多少大げさに響きますが、立憲主義という現代的な国家のあり方に対する誤解にもつながっていると考えます。

 

明治維新を幕開けに外国文化が大量に流れ込んできた際、明治の知識人たちは、いくつもの「日本語にはない」概念を苦心して翻訳してきました。この「概念(concept)」という言葉にしたってそうです。文化的な文脈を完全に訳出することはできないので、どんな言葉の翻訳も誤謬はつきものです。ただLost in translationで意味が抜け落ちてしまっていたり、「現存在と存在者」のようにそれだけでは全く意味不明であったりすればまだよいですが、間違った理解を助長するのであればそれは誤訳であり有害です。それならなお、憲法はそのまま、コンスティテューションとカタカナで言っておけばよかったのではないでしょうか。私自身、かつて若い方に「それはマーケティグとITをグロスした視点ですね」と発言を要約いただいた際非常に狼狽したクチではありますが、うまく訳出できない場合は横文字をそのまま使う、というスタンスは上記の理由から支持します。

「邪魔」と「妨害」

Advertimes(アドタイ)に連載中のコラムを更新しましたので、こちらでも紹介させていただきます。以下が本文です。

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皆さんの家には「執事」は、いらっしゃいますでしょうか。私の家にはおりません。執事というと、時代ものの映画や小説のなかでしか、私は見たことがないのですが、そんな物語のなかの執事でも特に印象的なのが、ロシアの小説家・トルストイの作品『アンナ・カレーニナ』に登場する、主人公の兄、オブロンスキーの執事であるマトヴェイです。オブロンスキーは公爵で政府の高官でもあるので、モスクワに豪奢な邸宅を構えています。執事を雇っているだけでなく、毎朝お抱えの理髪師に自宅の化粧室でひげを剃らせたりもしています。

物語はそんなひげ剃りのシーンで幕を開けます。マトヴェイは椅子に腰掛けた主人の二、三歩後ろ、鏡越しに顔を合わせることができる位置に起立しています。それゆえオブロンスキーは、彼に話しかけるのに顔を上げたり首をひねったりする必要はなく、例えば妹が旦那を伴わず一人で来訪することを伝える際は、ただ指を一本立てれば良く、何より必要とあれば彼の気配を殺して手紙や思索に集中することができるのです。このトルストイ的な世界観にあっては、優秀な執事の第一条件は、いかなるときも主人の邪魔をしないことです。 

今日ではスマートフォンとインターネットが、ある意味、我々の執事のようなものと言えるでしょう。朝一番で知人・友人の近況を知らせてくれ、手紙を届けてくれ、車を手配してくれ、一声かければ必要な情報を探し出してきてくれます。

しかし、この執事にいかに事務処理能力があっても、トルストイの時代にあっては落第です。なぜなら、我々の邪魔をするからです。友人からの重要な手紙を読み耽っていると、突然ノックなしで書斎に入り込んできて、こちらの状況も考えずに、ご主人様、ご主人様、と声をかけてきます。顔を上げ、何かと訪ねれば、お友達の岸本様がこの前のご主人の手紙について「いいね!」とおっしゃっていました、などと他愛もないことを言ってきます。ごく控えめに言っても、イラっとくるでしょう。そんなことは後にしてくれ、と。 

ところが今日、我々はその「邪魔(interruption)」をむしろ歓迎します。FacebookやLINEの通知機能は、プッシュ通知であればなおさら、本来邪魔であるはずです。しかし、我々は無意識にそれらを待っていることがないでしょうか。アメリカの作家、ニコラス・カーは、その著書『The Shallows(ザ・シャローズ)』(邦訳:『ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること』青土社刊)の中で以下のように述べました。

“We want to be interrupted, because each interruption brings us a valuable piece of information”

「我々はむしろ、邪魔されたがっている。なぜならばインターネットにおける邪魔は、同時に有益な情報のカケラでもあるからだ。」

こうしてインターネットにおいては、無意識に邪魔が歓迎されるようになり、その反面、集中状態が忌避されるようになるのです。

<続きはアドタイでご覧ください>

「イマジン」の7年前、アメリカにはまだ白人専用バスがあった

話題になっている丸山議員の「奴隷」発言ですが、マスコミによる恣意的な前後の切り取りがあるにせよないにせよ、「ハッキリ言って奴隷ですからね」は他国元首に対する尊敬と、もっと根本的に他人に対する配慮を欠く発言で不適切だと思いますし、まったく擁護できるものではありません。しかし、「51番目の州」という荒唐無稽な考え方とあわせて議員がアジェンダ提起したいことはなんとなく理解でき、それがなぜかを説明するためにはアメリカの歴史のあまり知られていない(あるいは誤解されている)部分について若干解説が必要と考えます。

リンカーンの奴隷解放宣言(The Emancipation Proclamation : EPとします)は1868年ですが、アフリカ系アメリカ人に選挙権が認められたのは1964年でそのちょうど100年後、ケネディ大統領を継いだジョンソン大統領の時代です。そればかりか、その1年前まではまだ南部ではジム・クロウ法が残っており、アフリカ系アメリカ人および有色人種とその混血は、白人専用のホテルや病院、公共交通機関を使うことはゆるされず社会的に隔離されていたのです。ジョン・レノンがイマジンを歌うたった7年前のことです。

カナダ人のニール・ヤングはSouthern ManやAlabama という曲で、アメリカ人南部人を痛烈に批判しており、Now your crosses are burning fast(crosses : 南北戦争時の南軍を象徴する十字を斜めに模った旗)とまで言っているのですが、これは1970年のことで、公民権運動以降数年たっても上記のような有色人種への差別は色濃く残っていたことを示唆します。余談ながら、レイナード・スキナードというアメリカ南部出身のバンドは、Sweet Home Alabamaという曲で歌詞の中にニール・ヤングの名前を出して批判し返しています : I hope Mr. Young to remember, southern men don't need him around any how. 

なぜEPから100年以上たった後も、このような状態が100年以上続いたか。そもそもリンカーン自体、有色人種が公民権を手にする日が将来来ようなどとは、夢にも思っていなかったはずです。彼は政権の閣僚のなかでも有色人種政策に関して革新的で、シワード国務長官などはライバルとして選挙戦を戦っていた時分リンカーンの有色人種政策を過激すぎると批判していたくらいですが、それでも解放した奴隷が白人社会に同化できるとは考えておらず、初期には解放した奴隷をアフリカに送還する計画を立てていました。

南北戦争におけるリンカーンのもっとの重要なアジェンダはユニオン(アメリカ合衆国)を守ること、南北の分裂を防ぐことでした。それには連邦脱退を目論みる南軍を軍事的に打ち負かし、しかるのちに寛大な政策をとって彼らを引き戻すというのがリンカーンの戦略でした。EPはそれを実現するための半ば「軍事的な」戦略で、奴隷を主要な兵力とする南軍を、奴隷逃亡を合法化することで弱体化させることが主な目的でした。リンカーンの心中はどうあれ、少なくともそういう前提でないと、急進的な奴隷の社会同化を恐れる北側の保守層をも納得させられなかったくらい、当時有色人種の白人社会同化というのは非常識な考え方でした。そいう意味で、それは当時仲間をも驚かす奇策だったわけで、戦後の南部融和も同じく周りからは猛反対を受けた奇策であり、この2つの奇策を信念をもって成功させ、ユニオンを守ったところに、リンカーンの政治的天才と英雄たる所以があります。オバマ大統領も選挙戦ではユニオンという言葉を多用しましたが、それは解放者としてのリンカーンよりもアメリカ(の統一)を守った英雄としてのリンカーンに自分をなぞらえたものでしょう。

それを考えると、オバマ大統領の誕生に象徴される、アメリカが1970年以降の40年間で経験した社会変動がいかに大きなものだったかが想像できます。日本でいうなら、70年代以降にもう一度幕末の社会変動(政治変動は抜きにして)を経験しているようなものです。日本でも同じ時代に大きな社会変革がありましたが、アメリカでのそれとは比べられません。アメリカの51番目の州を目指すという考え方もある、という丸山議員の発言は、まじめに言っているとは到底思われませんが、奴隷発言とあわせ上記のようなアメリカのダイナミズムと、それゆえの激変の時代における強さを強調するためのアジェンダ提起と理解すれば、その意味においてのみ一定の評価はできるのではないでしょうか。


「縁起かつぎ」は理にかなっている、という般若心境の教え。

私が仏教に興味を持つようになったのは、二十代前半の頃に奈良の薬師寺を観光で訪れたことがきっかけでした。当時の私は西洋文化に傾倒しており、好きな画家の故郷を訪ねベルギー辺境の港町を訪れたり、有名な建築物を見るためにスペインの紛争地に赴いたりしていたくらいなのですが、日本の建築や美術は歴史の授業で学ぶような退屈なもの、見ようと思えばいつでも見られるあまり価値の高くないもの、と誤解して考えていました。なので、その時薬師寺を訪れ、一年のうち限られた期間しか公開されない平山郁夫画伯の「大唐西域壁画」を見るに至ったのはまったくの偶然、今考えると僥倖でした。

 

観光客の流れに身を任せるまま、何とはなしにたどり着いた大唐西域壁画殿で、私はその壁画に出会いました。第二画である「嘉峪関を行く・中国」を壁面に見上げながら、私はつまらない絵だな、と感じていました。この絵が描かれた50年前にはもう、ジャクソン・ポロック(絵の具をキャンパスに撒き散らすアクションペインティングで有名)のような人が出てきたような西洋の絵画と比べ、現代においてもこのような写実的な風景画を描いている日本画には、なんとなく進化がないように感じられたのです。
 
 
そのようなことを実際当時の彼女、今の妻に話していたら、おそらく近くでその話を聞いていたお坊さんが近づいてきて、「この絵が気に入りましたか?」と尋ねてきました。私はつまらないと思っている旨を正直に伝えました。すると、そのお坊さんはそうですか、と穏やかに微笑み、その壁画の説明を始めました。この大唐西域壁画は、平山郁夫画伯が20年の歳月をかけて完成させた彼の人生そのものであること。その間200回現地を訪れ文献を読み漁り文字通り全身全霊を捧げて描き上げた作品であること。空の青一つとっても、絵の具を使わず、現地で採掘したラピスラズリの鉱石を砕いて顔料にしていたり、絵画というよりある種の造形物であること。そしてかの日本画の大家を駆り立てた、玄奘法師(いわゆる三蔵法師)への強い思い。そんな話を聞いてから改めて見てみると、その壁画はまるで魔法がかかったように、今度はとても素晴らしいものに思われました。
 
 
その旨を伝えると、想像していなかった答えが返ってきました。そうですか、でもそれは間違っているんじゃないでしょうか。耳を疑いました。お坊さんは続けます。あなたが最初に感じたつまらない、という気持ち。そして今感じた素晴らしい、という気持ち。どちらも間違っているんじゃないかなと思います。あっけにとられる私に、お坊さんはさらにこんな例え話をしてくれました。小学生の坊ちゃんが、朝校庭でボール遊びをしていました。その子はなんて小さい校庭なんだ、もっともっと広ければ良かったのに、と思うんです。放課後になって、授業中に悪さをした坊ちゃんは、一人で校庭の掃除をするように命じられます。すると今度は、なんて広い校庭なんだ、もっと狭ければよかったのに、と思います。どちらも真実ではないですよね。校庭は変わってないんです。校庭をただ校庭として見るこころ、かたよらないこころ、こだわらないこころ、とらわれないこころを、仏教では空(くう)のこころと言って大事にしているんです。
 
 
前置きがかなり長くなりましたが、お坊さんのこの説教に完全にノックアウトされ、爾来私は仏教に強い興味を持つに至りました。色々と書籍をあたり勉強していくうちに、薬師寺でお坊さんが語ってくれた「かたよらないこころ、こだわらないこころ、とらわれないこころ」というあの印象深いフレーズは、薬師寺管主で高名な法相宗の僧であった高田好胤さんの言葉だと知りました。仏教の真理はシンプルで、般若心境というわずか276文字の経典にその教えが集約されていますが、高田好胤さんの言葉はさらにそれを短い一文に集約しています。かたよらない心、こだわらない心、とらわれない心、ひろく  ひろく  もっとひろく  これが般若心経 空の心なり。これで全文です。仏教で一番大事なのはここでいう「空(くう)」の概念なのですが、同じ絵が一瞬で素晴らしくも、つまらなくもなるのであれば、そもそも絵や校庭のように「実態があるように見えるもの」はすべてその実は「空」、つまりからっぽなんじゃないか、ということです。これを理解するにはちょっとだけ補足が必要で、まずは「縁起」という考え方を理解する必要があります。
 
 

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仏教における縁起・縁とは通常使われている意味とは異なり、「すべてものが持っている、他のものに影響を与える力」というようなニュアンスの概念です。ここでいうすべてのものとは、人間以外の生物、あるいは無機物までふくめ、また行為や思いもふくめたすべてのものを示し、仏教ではそれを色・受・想・行・識の五蘊(ごうん)といいます。例えば私が心の中で「あの人ムカつく」と思ったとします。その思いは、微妙に私の血圧や血流を変化させ、例えば表情をわずかに変えるかもしれません。その表情の変化を誰かが感じとり、今度はその人の心を微妙に動かすかもしれません。そんな風にして、五蘊はすべて他のものに影響を与える、時に大きな、時に誰も知覚できないほど微妙な力を持っていて、それが連鎖し、混じり合い重なり合うことで、まるでマッチ棒がお互い微妙なバランスで支えあってカタチを作り自立するように、世界は成り立っている。なので、何か存在を存在たらしめる根元のようなものはなく、そんなマッチ棒の城郭が何かの拍子にむごくも崩れ去ったら残るものはただ「空」なのです。
 
 
お布施というのは、本来は他人のためにする「いいこと全て」を示し、お寺にお金を寄贈することだけを言うものではありません。たとえば、夜寝る前に誰かの幸せを祈るだけでも、それはその人に対するお布施です。「頑張って」と声をかけるだけでもお布施です。なぜなら、仏教では思いや言葉はすべてある種の影響力を持つと考えるからです。この事は言霊信仰(言葉にしたことは、言葉の魔力により実現する、という考え方)とも関連が深く、キリスト教の祈りは意味が大事なのに対して、仏教の念仏は意味がわからなくてもありがたい、と考えられることにも通じています。余談ながら、私は幼い頃教会に通っていたのですが、当時賛美歌や「主の祈り」は文語で、「テンニイマシマス(天に在します)」や「シュワキマセーリ(主は来ませり)」と言った文句を、日本語ではなく意味のないおまじないのようなものだと思っていました。幼い子供に「在す」などという単語が理解できるわけもないのですが(今でもよく解りません)、それをある意味闇雲に、呪文のごとく暗唱させるわけで、日本ではこうしてキリスト教信仰の中にさえ仏教信仰の片鱗を見るものです。
 
 
願をかける、縁起をかつぐという行為は、その意味でとても論理的・合理的(科学的ではないにせよ)です。思いが言葉に、言葉が行為に、行為が他者に影響し、それが社会に連鎖していくという理屈は、宗教としてではなくある種の教訓として素直に理解できないでしょうか。仏教には神様もいなければ奇跡もありません。古来現代に至るまで数学を得意とするインドの方々が考え、育んできただけあって、仏教は非常に論路的な思想体系です。そして仏教は「この世は不幸である」という認識をスタート地点としていますし、空という考え方は時にニヒルな態度、受け身・消極的とも解釈されがちですが、よい行い、よい思いは何であれ(微力ながらでも)力を持ち、連鎖すると考えるところはとても前向きで自発的・能動的です。一方、どんなに良いことをしようが悪いことをしようが、その事には全く関係なく、マッチ棒の城郭はいつ知れず突然形なく崩れ去ってしまうかもしれません。そのときはくよくよせずに諦めよう、マッチ棒の城郭はかりそめのものだったのだから、もともとは空だったのだから、と仏教は教えます。それが「かたよらないこころ、こだわらないこころ、とらわれないこころ」ということだと思っています。
 
五郎丸ポーズで有名になったスポーツ選手のいわゆる「ルーティーン」は、単なる願かけではなく、精神集中やリラックスなど様々な具体的効用があることが広く知られていますが、小さな行為の持つ力の連鎖という意味で、縁起という考え方に通じるものがあります。そしてこのことは縁起という概念の合理性を裏打ちします。つまりルーティーンだってやはりある意味で縁起担ぎである、あるいは、あらゆる縁起担ぎはある意味で今でいうルーティーンである、ということです。五郎丸ポーズがあれだけ人気を博したのも、日本人が古来から親しむ縁起担ぎに通じるところがあるからというのはそうだと思いますが、ルーティーンが合理的だと広く知られるようになった今、我々日本人はもっと堂々と縁起を担ぎ、お布施をしてもいいのではないでしょうか。夢をノートにしたためること。遠くの被災者のために祈ること。それらは合理的なルーティーンであり、立派なお布施です。そう考えると、両手を合わせ天を拝む五郎丸選手が、仏の教えを広める菩薩か天にも見えてきます。
 
 

「空気を読む人」が海外で評価されない、実はとても哲学的な理由

インターネットでは、面識のない個人や、違う場の空気をもつコミュニティが人やグループの行動・言動に緩やかに、時に匿名で一方的に干渉できるので、職場や学校などといったリアルの世界と比べ「批判」が醸成されやすいのは我々の経験がよく知るところです。「インターネットはその匿名性ゆえに無責任な批判が跋扈する、なのでけしからん」といった議論はfacebookの実名制が普及した今でもよく目にしますが、その背後にはそもそも批判そのものが「けしからん」から、ないしは少なくとも原則するべきものではない(それゆえするなら何らかの責任を伴う)から、という前提が垣間見えます。もし批判が一般に歓迎されるべきものなのであれば、批判が集まりやすいインターネットはその意味で社会にとって有益だ、ということになりそうです。

 
 
少し前に、僧侶の松山大耕さんがTEDで日本人の宗教観を説いて話題になりました。曰く、日本人の宗教観は"believe in something"ではなく"respect for others"という寛容の精神に基づいており、同じ人が盆に仏を尊べばクリスマスを祝い、新年には神社に初詣する。この寛容さ故に、日本では過去に大きな宗教対立もなく、現在でも多様な宗教が社会に溶け込み、争うことなく同居している。これは誇るべきことで、今世界中から日本の宗教界が注目されている。というような話でした。
 
 
クリスマスもハロウィンも盆も正月も祝う日本人の宗教観は、過去には「節操がない」「信念がない」と否定的にとらえられることも多かったため、松山さんの説教はまさに目から鱗だった方も多いのではないかと思いますし、そのことが大きな反響につながりました。それ自体には私も共感するところがあるのですが、そんな社会の共感が「欧米もアラブ諸国ももっと"respect for others"で仲良く暮らせばいいのに」という論調に繋がることを危惧していました。詳細は後で述べますが、そこには大きな誤解があると考えるからです。しかしその後、実際にソーシャルメディアでそのような趣旨のコメントを多数見ましたし、宗教対立がニュースで取りざたされるたび、松山さんの説教は繰り返しSNSでシェアされるようになりました。
 
 
その文脈で宗教・文化対立に疑問を呈する人は、宗教対立を信念と信念の対立とみて、日本の宗教観と欧米・アラブの宗教観の対立を「他者に対する尊敬」と「信念を貫くこと」の対立とみています。信念を貫くことも立派だけど、他者に対する尊敬も同じくらい大事に思うことはできませんか?という投げかけです。整理すると以下の通りです。
 
<日本の宗教観
他者に対する尊敬 を最も重視
 
<欧米の宗教観
信念を持つこと・敬虔さ を最も重視
 
しかし、この日本における寛容さと対立する西洋の価値観は、実は信念を持つことや敬虔さではなく、ヘーゲル的な弁証法(Hegelian dialectic)に基づく歴史観なのです。丸山眞男の「日本の思想」に、著者が外国の学者から日本の知性の歴史(intellectual history)をまとめた書籍はないか、と問われ困惑するくだりがありますが、ここでいうintellectual historyを西洋ではフリードリッヒ・ヘーゲルがまとめて体系化し、後世の学者たちに引き継ぎました。統治の仕組み(constitution)や人権の考え方はじめ、科学や文化など社会を規定する知性・概念の発展はすべて「弁証法的に」行われてきた、とするものです。欧米社会の人は、もちろんそんなことは知りもしなければ意識もしませんが、日々この弁証法のなかで生きていると傍観者として彼らを見ると強く感じます。
 
このヘーゲル弁証法、名前は難しそうですがとてもシンプルな考え方です。テーゼ(考え方)Aがあり、それと対立するテーゼBが出てくる。AとBの対立はやがて止揚アウフヘーベン)され、その対立と止揚から新しい考え方Cが生まれる。ヘーゲルによれば、西洋の知的進化は常にこのように弁証法的な発展を遂げてきた、ということになります。ここで重要なのは批判の持つ意味です。反対意見に対する批判を自分の立場からだけ見れば、それはあるいは信念にも非寛容にも(ポジティブにもネガティヴにも)とらえられますが、一歩俯瞰した第三者的な立場から見れば、弁証法史観ではそれは新しい考えを導き人類を進歩させる正義(原則いいこと)になります。いうなれば、現在先進国で暮らす我々が享受している社会システムや科学技術はみな、例えば我々が切り傷を負っても破傷風で命をおとさずに生きていられること自体、批判によってもたらされた社会の弁証法的発展の賜物だというわけです。
 
 

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異なる宗教・文化が対立しているとき、そこには双方に、対立構造や批判しあう事に対する深い無意識のrespectがあるかもしれません。彼らが信念を主張する理性より高次の無意識において、対立構造が生み出す人類の進歩を志向しているのだとしたら、それは「自分と同様相手をrespectしましょうよ」と安易にたしなめられるべきではありません。整理すると、以下のようなことです。
 
<日本の価値観>
・他者に対する尊敬 を重視
 
<欧米の価値観>
・信念を持つこと・敬虔さ を重視
この対立を重視
・他者に対する尊敬 を重視
・◯◯を重視
・◯◯を重視
 
 
実際に欧米の文化では批判を大事にします。ビジネスのミーティングにおいても、彼らは意見の対立を歓迎し、賛意も批判も同等に飛び交う活発な意見交換を「建設的」と表現します。パブではビール片手に政治やスポーツを議論し、繋争があれば原告と被告に分かれ裁判で決着します。与党に野党、上院と下院、内閣と議会という議会制民主主義における二項対立の構造にも弁証法の影響が色濃いです。「空気を読む」というニュアンスが欧米人に伝わりにくいのは、ひとえにこの空気を読むという行為が、明確な対立構造が「ない」ことを前提としているためです。
 
 
なぜ、いわゆる「空気を読む」人を評価しないのか?と欧米人に聞くと、おそらく多くの人はなぜだろう、としばらく考え、「それは自分の意見を持っていないことを意味するからだ」というようなことを答えるでしょう。しかし、それと対立する、と日本人が考える「他人をrespectする」という美徳は当然欧米人にとっても重要な美徳です。他人をrespectしない人が敬遠されるのに、洋の東西が問われる由もありません。実際に、自分の意見ばかり主張し、他人への配慮を欠く人は世界中どこでも嫌われますし、会議の後には陰口を叩かれます。欧米人自身は、多くの場合そのことに無意識ながら、彼らが空気を読む人を評価しないのは、本質的には実はそれが弁証法的な批判精神を欠くからなのです。なぜって弁証法的な史観に立てば、批判と対立なしには人類の発展はストップしてしまうのですから。そういったものの見方がいい、といいたいわけでも、批判をよしとしない日本の文化を否定するものでもありませんが、グローバルな現場でビジネスをする際や国際ニュースを読み込む際などに、そういう考え方もあるのだ、と理解しておくことはとても有益です。